■ 過激なテーマ?!
No. :101
Name :そら
Date :2001/02/26(Mon) 23:52
Mail :sora75@yahoo.co.jp

ミソッパさんが過激でも掲示板のテーマを..と言う事なので、面白くないかもしれませんが「訳詞について」なんていかがでしょう?
海外産のミュージカルを日本で上演する場合、どうしても訳詞が問題になると思いますが、過去に訳詞が良かった作品、悪かった作品、また、どんな訳し方が良いか(意訳、直訳)などについて海外観劇が豊富な方々のご意見をお聞きしたいなぁ〜、と思いました。

■ Re[101]: 過激なテーマ?!
No. :102
Name :Joe
Date :2001/02/27(Tue) 09:56
Mail :yujiny@hotmail.com

 エンカレのJoeです。ミソッパさんの提案にさっそく面白いテーマ
> 「訳詞について」なんていかがでしょう?
 ってのが出ましたけど、面白いですよね。そもそも、音楽というのは詩と音との関係は切っても切れないものであって、オリジナルの音楽には作詞と作曲の激しいせめぎあいがあります。そして、ようやく一つの完成された作品が仕上がります。ですから、この出来上がった詩と曲には密接な関係があるのですから、これを切り離すことは基本的には出来ないのです。ましてや、オリジナルの曲に無理矢理異なる言語の詩を載せること自体不可能に近いものがあるのだと思います。ましてや、英語と日本語という全く異なる言語に置き換えるのですから、かなり厳しいものがあるでしょう。
 ただ、オリジナルの言語の詩を異国語に載せ換えるということが絶対に駄目だとは思いません。それが、うまくいけばそれはそれでいいのでしょう。
 例えば、『レ・ミゼラブル』は元々フランス語を英語に置き換えて成功しています。だから、英語の作品を日本語に置き換えるのは良くないとは思いません。それで、成功していればいいと思います。でも、この「成功」をどこで判断するかですよね。

■ Re[102][101]: 過激なテーマ?!
No. :104
Name :マクウチ
Date :2001/02/27(Tue) 14:32
Mail :kelta@po.jah.ne.jp

こんにちは、Joeさん。
「42nd Street」を見るのが楽しみで夜も眠れないマクウチです(笑)。

>  ただ、オリジナルの言語の詩を異国語に載せ換えるということが絶対に駄目だとは思いません。それが、うまくいけばそれはそれでいいのでしょう。
>  例えば、『レ・ミゼラブル』は元々フランス語を英語に置き換えて成功しています。だから、英語の作品を日本語に置き換えるのは良くないとは思いません。それで、成功していればいいと思います。でも、この「成功」をどこで判断するかですよね。

うーん、英語とフランス語は「子音が多い言語同士」で「短い音節の単語が多い言語同士」ですからねえ。
日本語はまずもともと「音」の数が少ないし、話者によって使われる単語が特定されてしまうし、ひとつの単語の音節が多いし。難しいですよね。無理矢理忠実に訳すと「レ・ミゼラブル」のように呪文のような歌詞になるんでしょうね。(好きな人いたらごめんなさい)
思いっきり「はしょる」しかないのかしら。でもそうすると、原作とはずいぶん離れてしまうだろうし。
理屈で考えれば英語やフランス語でできたミュージカルをきちんと日本語に翻訳してメロディーに乗せるのは不可能のような気がするのですが。あくまでも理屈で考えれば、ですけどね。

そういえば日本で「翻訳が成功したとされているミュージカル」ってどれなんでしょう。

■ Re[104][102][101]: 過激なテーマ?!
No. :105
Name :Joe
Date :2001/02/27(Tue) 15:19
Mail :yujiny@hotmail.com

 マクウチさん、エンカレ4月号の表紙は『42nd Street』の予定です。さらに、プロデューサーのインタビューです。お楽しみに。
 昔、ある著名なミュージカル翻訳家が「私は、美しい日本語を残したいと思います」っておっしゃったんです。例えば、「Kiss me please」が「私に接吻して」となるようです。こんな翻訳のミュージカルは、私は絶対に観たくないです。文学小説だったら許せますけど、ミュージカルの場合には、詩にもリズムと感覚、感性が必要です。

■ Re[106]: みなさん
No. :107
Name :Joe
Date :2001/02/28(Wed) 00:08
Mail :Yuji@hotmail.com

 エンカレのJoeです。
 私は、ニューヨークで上演されてきたミュージカル作品は、過去16年間殆どを観てきましたが、残念ながら、日本の舞台は10指に足りません。日本での翻訳ミュージカルの観劇経験は1983年頃の『キャッツ』が最初で、その後、ちょっと古くなりましたが『ミス・サイゴン』、そして、ほんとに最近の『南大平洋』『カンパニー』あたりが代表的な作品です。これらを観て、まず思ったのが「日本語だから分かりやすいな」ってことです。私にとって、英語で上演されているミュージカルは、その殆どの内容を理解するのは困難を極めますからね。
 ニューヨークの『レント』をオフの舞台で初めて観た時には、何が何だか内容を理解出来なかったです。特に、日系人の中曽根愛子さんの存在が気になってしまって「あれぇ、日本人が出演してる」ってそればっかり考えてたから、詩の内容まで理解する余裕がなかったんです。そして、二回目のオンのプレビューの舞台の時にもオフとの比較と何でこんな作品がこんなに人気なんだろうという疑問で、やはり、深く詩の内容にまで入っていけませんでした。そして、ようやく三回目にして、涙がとめどなく溢れてきました。私自身、以前イーストヴィレッジに住んでてルームメイトがゲイでしたから、さらに、彼はのちにエイズで亡くなったと風の便りに聞きましたから、『レント』のテーマが詩を理解することによってようやく私に深く突き刺さったのです。もし、日本語で上演されていれば、第一回の観劇で少なくとも詩の内容は理解できたんでしょうね。ただ、感動出来たかどうかは、それを観てないから何とも言えません。
 そう言う訳で、私の立場としては日本の舞台を殆ど観ていないわけですから、逆に日本の舞台を観劇している方の御意見をいろいろお聞きしたいですね。

■ Re[107][106]: みなさん
No. :108
Name :aya
Date :2001/02/28(Wed) 11:54
Mail :ayak@mizar.freemail.com

私は映画の「コーラスライン」が大好きだったんですけど、(残念ながら英語版の舞台を見てません)日本語に訳されて演じられたのはなんだか妙な感じがしてどうしても好きにはなれませんでした。
(映画と舞台とではちょっと違いますが)
字幕で読んでいると日本語も変ではないのですが、歌われてしまうとなんか変なんですよね。無理に音に乗せるために変な言いまわしや、ちょっと古臭くなったり、くさくなってしまったり。もちろん詩の内容はほとんど一緒なんだろうけれど、雰囲気ががらりと変わってしまってて…。
英語で見ていたので、そのイメージが頭にあったのでそれが壊れてしまって気持ちが悪かったんですね、きっと。

それから、英語版ではリッチ−が「I'm black」ってちょっと恐縮する感じで自己紹介する所があるんですが、それが日本の舞台では「男です」って代えられているんですよね。日本人には人種差別という感覚が身近に感じられないっていうのと、演じる役者が日本人なのでリアリティがないっていうことで、日本で演出の際に、面白い方向にとギャグっぽく代えられたようです。
これは、私は納得できないんです(−−;)
もともとコーラスラインっていう舞台は、ダンサーがオーディションで自分の告白をするというシュチュエーションを通じて、社会性や、セクシュアリティや、現実の厳しさなどを強く訴えていて、そのリアリティが観客に共感を呼んだんじゃないかと思うんですよね。こうリアリティを前面に出した事が衝撃的だったのではないでしょうか。

その意味で、このリッチ−の「ブラックです」っていう発言ってすごく重要だと思うんです。この一言で彼の送ってきた人生の大きく占めてるもの(黒人であったがための事実)全てが伝わるんだもの。この言葉は一番伝えたい事の一つだったと思うんですよね。アメリカでは人種問題はとっても大きいですから。

ただ日本人は人種的な感覚や、同性愛などが身近に感じられないのも事実だと思います。なのでこの題材で、アメリカ人の観客が感じた同じ感動を日本人が期待するのは難しいと思います。それは文化や感覚、社会が違うからだと思います。これは「レント」にも言えることだと思います。

結局、日本人のもつ感覚、文化、社会をふまえて作られた脚本、曲が最も日本人の観客を感動させる事ができるんじゃないかと思うんですけど…

あ、ちなみに英語版の知識なしに見た東宝の「蜘蛛女のキス」は、違和感なしに見る事ができて、好きでした(^^)歌が素晴らしかった!ただ歌詞はよく覚えていません(;;)
もしかして要は潜在意識の有無なのかしら??(長々と述べた後で申し訳ないのですが(^^;)

長々と失礼しました!

■ Re[108][107][106]: みなさん
No. :110
Name :Joe
Date :2001/02/28(Wed) 13:24
Mail :yujiny@hotmail.com

 Ayaさんの述べられていることは、まったくもって最もだと共感させられました。実際、私が『レント』を観て感激したのはニューヨークでのかつて自分の置かれた境遇が酷似していたからです。私も、家賃を払えなくてゲイの知人のホスピタリティによって生活してた時期がありました。その時、家賃は払っていませんでした。そこの主人は、いろいろな国から来た人にも親切に宿を提供していました。今、考えてみたら信じられないことです。全くの赤の他人、それも外国人をただで泊めてくれていたわけです。それに対して主人が求めたものは、それこそ「サウザンド・キス」ではなかったけれど、「Love」でした。決していやらしい意味ではなくです。私がゲイではないことは関係ありませんでした。
 それから、『コーラスライン』もやはり自分がニューヨークでダンスを勉強していたんで、実際ミュージカルのオーディションを受けた経験からあの白いラインに立って名前を呼ばれるシーンでは涙しました。さらに、これは、10年以上も前ですがガーシュイン・シアターで観た『シンギン・イン・ザ・レイン』では、イントロが流れてきただけで涙目状態でした。
 舞台観劇の感動は、オーディエンスの置かれた状態によって大きく異なります。だからと言って、『レント』はニューヨークのヴィレッジでゲイと住んだことがなければ感動できないとは思わないし、『コーラスライン』だって、ミュージカルのオーディションを受けたことがない人は感動できないとは思いません。第二次世界大戦を経験していないのに『トミー』は感動しましたからね。
 ただ、『レント』とか『コーラスライン』を日本で日本人の役者さんで日本語で観た時に同じ感動があるのかというと、これは、分りませんね。実際に観てみないと。ただ、言えることは日本で観た『ミス・サイゴン』はブロードウエイ程感動しなかったということです。私は、ベトナムには従軍してはいませんけど…。

■ すみません!
No. :112
Name :そら
Date :2001/02/28(Wed) 23:41
Mail :sora75@yahoo.co.jp

ayaさんがおっしゃってる「コーラスライン」の舞台に関する感想にはまったく同感です。日本人が演じるので仕方ないのでしょうけど、文化背景が異なるゆえのリアリティーの欠如を私も強く感じてしまいました。自己紹介で「私はどこどこ出身〜」っていう部分にしても、州の名前がもってるイメージもあるし、あの広〜いアメリカでニューヨークを目指すっていうのはかなりの勇気がいるし...。それを日本人の役者、また日本人の観客に理解しろというのも無理な話ですよね。作品にはその作品が生まれた国の文化、歴史、すべてが影響するわけですから。そういう観点からいえば、海外生まれの作品の良さをすべて含んで翻訳するというのは無理なような気もします。(だから結論から言えば、いつかの日か日本人による、日本人のためのいいオリジナル・ミュージカルが現れないかなぁ〜とは思います...)かと言って、外国の作品がすべて日本にはあわない、というわけでもなく全く同じようにというのは無理でも、その作品が本来もってるテーマっていうか芯になる部分がちゃんと(何を指してちゃんと、というのが難しいのですが...)表現できていて、人間共通に感動できる部分を含む作品ならば、多少の訳の不自然さや文化的な違和感を超えても受け入れられると思います。具体的な作品をあげると...う〜ん、反論にあうかもしれませんが(笑)...「クレイジー・フォー・ユー」とか...

■ 「訳」話題乗らせてください
No. :113
Name :AIRI
Date :2001/03/01(Thu) 01:26
Mail :airi-s@pop01.odn.ne.jp
URL :http://www.kt.sakura.ne.jp/~airimax/

歌詞は、日本語に訳されている言葉の方が直感的に意味をつかめて理解できるのだけど、母国語でない英語だからこそ想像力がかき立てられて感動することってありませんか?私は英語は堪能ではないけれど、ひとつの言葉からその向こうに広がる世界を感じ取るのが大好きなので断然原語支持です。極端な例ではCATSの「メモリー」、サビの"touch me "で涙をボロボロこぼして泣いてしまうのに、"お願い私に触って"では「そのまんまじゃん!」って逆に気持ちが引いてしまいます。
RENTの"NODAY BUT TODAY"も、言葉として何を意味しているかは分かるけど、母国語のように直感でイメージできるわけじゃない、でもそこが逆にいろいろな日本語に置き換えられていいんです。見たことのない日本版では"今日だけを"と歌ってるらしいけど、英語の方がいいです。すごい個人的な話をさせてもらいますが、RENTは最初に歌詞カードのないCDで聴いたNODAY BUT TODAYでまさにハマってしまって、その部分に泣く程感動して、対訳付きの歌詞を読み込み、それから舞台を観て、ついにはNYCのイーストビレッジまで訪ねてしまった……という邪道みたいなCDからのハマり方をしました。物語の背景はこの際関係なかったです。でもjoeさんのRENTの話を読めてよかったです!

さて、これは1年程前にメール友だちから知らされた話で裏付けはまったくないのですが、昔、浅利慶太がJESUS CHRIST SUPERSTARを訳したときにティム・ライスからクレームがついたという話があるそうなんです。でも「アジアはアジアの文化がある、日本はケイタにまかせろ」と誰かに言われたらしい。ネタとしてはおもしろい話なんですが本当なんでしょうか。(裏付けのない話ですみません。不適切だったら削除してください)

■ 歌詞に込められた感情
No. :114
Name :aya
Date :2001/03/01(Thu) 04:19
Mail :ayak@mizar.freemail.com

訳詞の成功、失敗というのは、訳の忠実さというより、訳に込められた感情の忠実さに関わってくると思います。
AIRIさんのおっしゃっていた事にも関係すると思いますが、言葉って一つの意味だけではなくて、それぞれ雰囲気とかもっと深い意味なんかを思ってると思うんです。歌詞って特にそういう言葉の使い方をするじゃないですか。感情が入るというか。それを無視した翻訳となると変になると思います。作詞家はそういう言葉の性質を考慮して、ふさわしい言葉を選んで作詞していて、さらにそれがふさわしい曲にのせられるから感動する歌が生まれるんだと思うんです。

その意味では、コーラスラインの「愛した日々に悔いはない/what I did for love」の訳詞方は好きです。この歌は、現実は厳しく辛いけれど、今までの自分の生き方に悔いはない。それが私の選んだ道で、私の愛してきて大切にしてきたものだからっていう感じの曲なのですが、直訳にこだわらないで、歌詞の気持ちを大切にしています。さらにこの歌は誰にでも共通する題材なので、文化の違いとか関係なしに心にジンときます。

■ Re[113]: 「訳」話題乗らせてください
No. :115
Name :Joe
Date :2001/03/01(Thu) 04:54
Mail :yujiny@hotmail.com

 AIRIさんの話で「やっぱりそうなんだよなぁ」って私も思いました。例えば"touch me "が「触って」じゃぁねぇ、興醒めしちゃいます。
 それから、英語の詩には意味を成さない部分が多々あります。それは、物語を説明する為のものではなくて韻をふむものです。ソンドハイムは、辞書で、似たようなフレーズの単語を調べてそれをつなげて韻をふむ作詞をすることがあるそうです。ですから、英語の詩を日本語に訳す場合はその韻をどう処理するのかが勝負の分かれ目です。
 AIRIさんのmailの「母国語でない英語だからこそ想像力がかき立てられて感動することってありませんか?」っていうフレーズに同感です。New Yorkのメトロポリタン・ミュージアムで、私はマネよりも、より抽象的なモネの方が好きなんですけど、これもAIRIさんのおっしゃる通り想像力をかき立てられるからなんですよね。モネの描いた場面を写真で見てしまったら興醒めするでしょうね。モネの絵から得られるような感動はないでしょう。
 案外、私が英語のミュージカルを観るときには、このような抽象画を見るような感覚になるんですね。
 因に、うちの社員が『レント』を観て「何言ってるか全然分かんなかった」って凄い怒ってたんです。彼は、筋金入のミュージカル通でネイティブなアメリカ人だったんですよ(笑)。アメリカ人の中には「今、何って言ってた」なんて確認してる人もいます。ミュージカル英語は、ネイティブ・アメリカ人にも分らないくらいなんだから、私が言葉の全てを理解出来ないのは仕方ないんです。それでも、感動するのは詩と音楽の絶妙な調和があるからなんですね。それが、日本語になると意味は分っても詩と音楽の調和が損なわれるから、感動が違ったものになっちゃうんです。

■ 訳詞/翻訳上演
No. :116
Name :ミソッパ
Date :2001/03/01(Thu) 23:43
Mail :misoppa@misoppa.com
URL :http://www.misoppa.com/

ざっくり言うと、問題は、
1) 翻訳上演、是か非か
2) 翻訳上演是だとして、いかに訳詞をするか
ということだと思います。
で、まあ、1) については、僕のサイトで何度か語っていて、非常に重大な問題を含んでいるのですが(例えば、みなさんがおっしゃっている文化の違いのことなど)、そのことを言い出すと「訳詞」がどうこうなんて話は吹っ飛んでしまうので(笑)、とりあえず、翻訳上演という“ニーズ”があって、それに応える形での翻訳上演を(偉そうですが)“認める”という立場で、2) について語るとわかりやすいのかな、と思います(でも、その両方を含むという意味で『太平洋序曲』の翻訳上演は面白かったのですが)。
そういうことで言うと、そらさんのおっしゃる、和田誠(半分)担当の『クレイジー・フォー・ユー』の訳詞は、かなり成功してましたよね。ある意味、下手な日本のオリジナル楽曲の歌詞よりも、“歌”のリズム感とか、シャレとかを理解していた。あの感覚をオリジナル・ミュージカルの楽曲に生かせるといいんだけどなあ、と僕などは思います。

■ ついしん
No. :117
Name :AIRI
Date :2001/03/02(Fri) 01:12
Mail :airi-s@pop01.odn.ne.jp
URL :http://www.kt.sakura.ne.jp/~airimax/

前の書き込みはうまく文章にならなくて考えが伝わったか不安だったので、わかってもらえたみたいでうれしいです。私は感動屋サンなのでよく舞台観て、それどころかCDだけでも涙が出てしまうのです。ミュージカルの「泣ける歌」って呼ぶのはあんまりなんですけど、しっとり聴かせたり登場人物の感情や作品のメッセージを歌い上げる歌は大抵スローテンポで、特にサビの部分なんか中学校レベルの分かりやすい英語を使ってますよね。だから、英語力なくて作品への予備知識もなくても、初めて聴いた歌で涙ぐんでしまう、なんてこともありますよ。(大事な部分が難解でない単語で書かれているのは…別にノン・ネイティブへの配慮なんかじゃないよな、って今思ってしまったくらいなんですけど)これが日本語だと直接的すぎて感動が少ないんです。日本語の言葉に感動できないんじゃなく、歌謡曲の分野にはいい歌詞もたくさんあるので、奥深い言葉に置き換えて訳した翻訳ミュージカルに私が出会ったことがないだけなんです。

 RENTだけじゃなく、ロックはネイティブのアメリカ人でも歌詞を聞き取れないものが多いらしいですよね。ミソッパさんの観劇記にもこんなことが書かれていたと思うけど、役者自身のキャラクターで見せる舞台・と言うのは音楽にも言えるわけで、歌も「上手く歌う」ことよりも歌い手の個性で善し悪しが決まるところなんかも、RENTはロックとの垣根がとても低いですよね。
何を言ってるか分からないのは困るけど、日本のミュージカルから受ける印象「言葉をハッキリ聴かせることだけを重視したような発声」は私はあんまり好きじゃないです……

■ Re[101]: 過激なテーマ?!
No. :118
Name :さく
Date :2001/03/02(Fri) 03:38

 訳詞、翻訳についてはいろいろ思うところ、感じるところがあるのですが、とりあえずは雑感をいくつか。

(1)2年くらい前に「ラマンチャの男」を観たとき、カーテンコールで松本幸四郎が「見果てぬ夢」を英語歌詞で歌いました。内容は本編中に、日本語歌詞で歌ったときの方がわかりやすかったですが、歌唱としては、英語歌詞の方が、高音がきれいに出て、息も長くつづいていたようです。

 英語歌詞のためにつくられた曲ですから、英語で歌うのが、いちばん歌いやすいのでしょう。日本語訳詞には、意味を伝えること、洒落っ気を醸しだすこと、メロディーに乗ることなど、いろんな条件があって、何を優先して翻訳するのかという方針が問題ですね。

(2)年末年始に観た、四季の「オーヴァー・ザ・センチュリー」、それから「シューズ・オン2」と「世界中がアイ・ラヴ・ユー」。有名なミュージカル曲や、ジャズのスタンダード・ナンバーを使っていましたが、ほとんどが訳詞ではなく、作品に合わせた日本語詞、というか替え歌でした。

 替え歌がいけないわけではないですが、これらのショーでは、選曲の妙味が問われているように思えて、歌詞も含めての「スタンダード・ナンバー」なんじゃないかなぁという気もしましたが、よくよく考えると、スタンダード・ナンバーのスタンダードな日本語詞なんてものはないのかもしれません。

(3)四季の「クレイジー・フォー・ユー」の訳詞が、上のような状況での理想でしょうか。ただし、訳詞だけでなく翻訳全体には小さな不満がいくつかありました。デッドロックの町に、バックパックを背負った、旅行のガイドブックを書いているという夫婦がやってきてユージン・フォーダーと名乗ります。Fodor’sというガイドブックがあって、この名前自体がギャグになっているわけです。日本でいうと「ブルーガイド」さんとか「地球の歩き方」さんとでもいいましょうか。最初は気づかなかったのですが、後日、ロンドンで観たときに、同じキャラクターの名前がフランソワ・ミシュランになっていて、あれれ?と思ってニューヨークのプレイビルを確認して、ようやく気づきました。

 四季では、ユージン・フォーダーでした。決して間違ってはいませんが、ギャグにはなりません。「ブルーガイド」さんは無理として「地球の歩き方」さんは論外として、ミシュランさんなら成立すると思うのですが。

■ リッチーのセリフ
No. :119
Name :クワスト
Date :2001/03/06(Tue) 05:06

御久しぶりです。翻訳公演や、訳詞については私もいろいろ言いたいことはあるのですが、なにぶん日本で現役でみていないので、偉そうに言えません(笑)よねー。だから、過去にみた作品のことをちょっとだけ。

コーラスラインは好きな作品で四季のものを何度かみました。で、その時はただただ感激してみていたのですが、数年後、映画バージョンやアメリカで舞台を見たとき、「あの四季のバージョンはなんだったのか?」とムクムクと疑問が湧きあがってきました。ラグタイムもそうなんですけど、多重人種がでてくる作品を単一民族の日本人だけで演じられると、作品そのものが持っているメッセージがストレートに伝わってこないんですよね(私には)。

コーラスラインなんて本場でみると、パッと見で、どの役をどんな人種がやっているかわかるのですが、四季のは自己紹介のところで、なんとなくわかるだけでしょう?そして致命的なのが、下の投稿にもあるリッチーのセリフが変えられているところ(ってオペラ座の怪人で「私の心」を「女の心」に改悪しちゃう劇団だから、いまさらって気がしますが)。

ayaさんはリッチーが「恐縮」して"I'm black"っていっていたようにとられた様子ですが、私が見たときは「見て分かるのにわざわざ言って挑発的」って感じだったのです。それはそれでいいと思うし、自分がblackだっていうことに誇りを持っているぞってさえ感じました。でも「男です」になったら、やっぱり「見て解るのにわざわざ言って」いることには違いないのですが、結果的にayaさんのおっしゃっているように、ギャグの効果しかないのですよね。曲の訳詞はメロディーに 合わせないと行けないから、多少(多少ではないですよね、実際は)意訳ぽくなってもしかたないでしょうが、セリフの訳はもっと大事にして欲しいです。ま、そもそも翻訳公演に文化的背景があわなくて、無理がある場合ははなっからやらない、が一番だと私は思います。
というわけで、ラグタイムの翻訳公演は間違ってもやらないように、分かりましたね、A氏(笑)。

■ フオーエバー・プラッド
No. :120
Name :ENO
Date :2001/03/14(Wed) 17:05
Mail :tiino@mti.biglobe.ne.jp

昨晩、「フォーエバー・プラッド」観てきました。素晴らしかったです。私自身は、50年代のアメリカの曲や男性4人のコーラスにあまり関心がないのですが、それでも充分に楽しめました。半分しかうまっていない客席にもめげず、元気いっぱい、客をノせてくれました。
で、感心したのは、「翻訳」を逆手にとったギャグをあちこち盛り込んでいるところで、たとえば、ラスト近く、「スタッフ?」が客席から「プラッドさーん、こんなお届けもんがありますよー」と日本語で呼びかけ、えっという顔で彼らが字幕を振り返ると、そこには今のセリフの英訳!があって、「おー」と納得して、客は大爆笑。
他にも、シャレた趣向たくさんあって、あの客に入りでは、彼らも「天国からもどってきた」甲斐がないと思うので、時間のある方はぜひ!


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