|
Films/Videos/Records/Books/Others ![]() 『香港ラプソディー HONGKONG RHAPSODY』 ディック・リー Dick Lee(WEA) 不当な評価を受けた亜門ミュージカル もう再演されることはないのだろうか。 宮本亜門(演出・振付)とディック・リー(作曲)が組み、名曲「China Rain」(作詞/竜真知子)を生んだこのミュージカル。弱点は抱えながらも、日本のオリジナル・ミュージカルの可能性を示した作品だったのに。 『香港ラプソディー』は、1993年の3月1日から4月11日まで東京・アートスフィアで、4月16日から30日まで大阪・シアタードラマシティで上演されたのだが、東京公演中の3月27日、朝日新聞夕刊の文芸欄でもないところに、とんでもなく否定的な批評が載った。 3月27日夕刊、コーヒーブレーク欄、長坂寿久氏の『香港ラプソディー』というコラムに異議がある。 ここで長坂氏は最近の2つのミュージカルを採り上げ、[日本の映画や芝居は、過去二十年にわたって、日本人の中核であるサラリーマンも、隣国アジアとのかかわりもほとんど描いてこなかった]ことの例証として批判している。 氏は、この作品を、登場する女性が[みな売春婦]で、その女性が[自らが死ぬ結果となる恋の相手をアメリカ人でなく日本人に変えただけという『ミス・サイゴン』の焼き直し]だと言い、[古臭い]と決めつけている。 おそらく、長坂氏はミュージカルがそれほど好きではないのだと思う。あるいは、ミュージカルの楽しさがわかっていない。
『香港ラプソディー』が、[日本の若い制作者たちがアジアとかかわるために作った新しいミュージカルというふれ込み]だからといって、[アジアとのかかわり]の描写が甘いことだけを指摘して鬼の首をとったように大騒ぎするのは、批評として公正でない。 可動式の舞台装置を駆使して高さ・奥行き・左右の広がりを100%使いきった、視覚的にも鮮やかな立体的人物配置と重層的なドラマの進行。 さらに言うと、きちんと観れば、これが『ミス・サイゴン』の焼き直しなどではないことは誰の目にも明らかだ。 長坂氏は、自身の主張を裏付けるための素材として、たまたま観たミュージカルの欠点をクロースアップしたのかもしれないが、作品が上演中であることを考えれば、はなはだ配慮の欠けた行為であったと言える。 このコラムは極端な例だが、同時期に他の媒体に載ったいくつかの批評も、ストーリーの弱さ、日本人と中国人、香港人とのかかわりに対する掘り下げの浅さを(僕に言わせれば)“ことさら”指摘し、そして、楽曲や演出の手際についてはきちんと評価していないのだった。 以降、94年『月食』、95年『マウイ』と、宮本亜門の手がけるオリジナル・ミュージカルは妙に“わかりにくい”形で登場する。 まあ、そんな邪推はさておいて。 ここに紹介するCD『香港ラプソディー』は、ミュージカル『香港ラプソディー』のオリジナル・キャスト盤ではない。イメージ・アルバムという呼び方で売られた、作曲者ディック・リー名義の同ミュージカル楽曲集で、ディック・リーが英語で歌っている1曲を除いてはインストゥルメンタル演奏だ。 日本のオリジナル・ミュージカルに接する時、最も不満を感じるのが、ミュージカルの魅力の根本である楽曲の質であることを思えば、『香港ラプソディー』の楽曲の充実ぶりはただごとではない。 傑作になりうるこの舞台、香港の返還にかかわりなく(かかわってもけっこうですが)、ぜひとも再演してほしい。 (5/18/1997)
『香港ラプソディー』再演希望の方はこのコーナーをご覧ください。 Copyright ©1997 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi |