[ゆけむり通信Vol.41 & 43]

11/4/2000
『スーシカル SEUSSICAL』
4/6/2001
『トム・ソーヤーの冒険 THE ADVENTURES OF TOM SAWYER』


お子様向けはお呼びじゃない?

 2000-2001年の新作として登場しながら、トニー賞の発表を待つことなく公演を終えてしまった作品 2つ。題材が“お子様向け”という点が共通していたのだが、そのことが失敗の原因なのか。
 答は、おそらくイエスだ。観客がある種の高級感を求めるブロードウェイという場では、“お子様向け”というイメージは明らかにマイナスだろう。
 その点、ディズニーは周到で、子供も楽しめるファミリー向けのアニメーションの舞台化であっても、『美女と野獣 BEAUTY AND THE BEAST』の場合は基本にあるラヴ・ロマンスを強調し、冒険物語である『ライオン・キング THE LION KING』には驚くべき演出を施して、それぞれ“お子様向け”感を払拭している。
 今シーズンのこの 2作は、その辺のねらいが絞り込まれていなかったのではないだろうか。

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 『スーシカル』は、アメリカ人にとっては非常になじみ深いらしい、ドクター・スース描くところのコミック世界の舞台化。ブロードウェイ入りする前に主要スタッフの交替などが伝えられ、あまりいい評判を聞かなかったが、キャッチーなメロディを持った楽曲がよく(作曲スティーヴン・フラハーティ Stephen Flaherty、作詞リン・アーレンズ Lynn Ahrens の『ラグタイム RAGTIME』コンビ)、ショウ場面が次々に登場して、まずまず楽しめた。
 が、そうした出来とは別に、集客力に問題ありと見たプロデューサーが、原因を主演デイヴィッド・シャイナー David Shiner の知名度の低さに求め、そのクビをすげ替えるという事件(以上、推測)があった時点で、このプロダクションはダメだと思った。だって、新しく主役になったのはロージー・オドネル Rosie O'Donnell だよ。歌も踊りも出来ないけど知名度だけはあるって人が主役になって盛り返す舞台って、どうよ。

 少年ジョジョが、口うるさい両親のいる現実世界と、不思議な住人たちのいる“スース”の世界を行き来するというのが『スーシカル』の展開で、その“スース”の世界に住んでいるのは、狂言回しでもあるシマシマ帽子のネコ The Cat in the Hat、象のホートン Horton the Elephant をはじめとする様々な動物たちや、虫眼鏡でないと見えない小さな街フーの人たち。最近ジム・キャリー Jim Carrey 主演で映画にもなったグリンチ The Grinch もここの住人だ。

 ジョジョが“スース”の世界の住人たちとの出会いの中で(大袈裟に言えば)人生について学んでいく、というのが大筋だが、作品のねらいが、なじみのキャラクターたちが目の前に出てきて歌や踊りを見せる、という“実演ショウ”的な部分にあるのは明らか。その意味では、『君はいい人、チャーリー・ブラウン YOU'RE A GOOD MAN, CHARLIE BROWN』とよく似た舞台ではある。
 よく似たその舞台(比較対象は僕の観たリヴァイヴァル版)に比べて、『スーシカル』が優れている点は、費用をかけて作り込まれた装置の豪華さ。劣っている点は、各キャラクターの芸の浅さ。
 前者については問題ないだろう。なにしろ、『君はいい人、チャーリー・ブラウン』の最大の敗因は、装置のチープさにあったと言っても過言ではないくらいなのだから。問題は後者だ。
 各キャラクターの芸が浅くなっているのは、役者の力量の問題ではなく、演出(『ラグタイム』のフランク・ガラティ Frank Galati)の問題。
 『君はいい人、チャーリー・ブラウン』の場合は、大した装置もなく、出演者も少なかったから、必然的に役者の芸で見せるしかないという面もあるにはあったが、結果、クリスティン・チェナウェス Kristin Chenoweth(サリー)とロジャー・バート Roger Bart(スヌーピー)の技が炸裂することになって、その意味では成功していた。
 その点、『スーシカル』では逆に、装置の充実が足を引っ張ったのかもしれない。
 レヴュー的に連続して登場するショウ場面は、アイディアもあり(MGM のエスター・ウィリアムズ Esther Williams 映画のパロディ・シーンもある)、華やかで楽しいのだが、その根底にあるべき“ブロードウェイならでは”の役者の芸が見えてこない。例えば、それは、舞台版『美女と野獣』――とりわけ「Be Our Guest」のシーンで感じたことに似ていて、要するに、この装置でこの振付なら誰が演じていても同じだろう、ってこと。もちろん、装置や振付も“芸”の内なのだが、やはりそこに“ブロードウェイならでは”感を付け加えて舞台を超一流にするのは、役者の芸なのだ。そして、ロングランが始まってしまえば、その辺が曖昧でも成り立ってしまうというのも事実としてあるのだが、オープニング当初は、そうした役者の芸が舞台の“格”を決定していくのは間違いない(だからこそオリジナル・キャストが重視される)。
 ことに、帽子ネコを演じたデイヴィッド・シャイナーは、別に彼でなくてもいいんじゃないか、というぐらいに魅力の発揮場所がない扱われ方。『フール・ムーン FOOL MOON』で名を上げた彼であってみれば、そのクラウン芸的体技を生かさない手はないだろうと思ってしまう(だからってロージー・オドネルならいいってわけじゃないのは前述の通り)。途中で、客席に向かってスライムや水をまいたりするあたりでチラッとその片鱗を見せはするものの、全くの不完全燃焼だ。
 おそらくこの舞台で最も共感を呼ぶ、象役のケヴィン・チャンバーリン Kevin Chamberlin にしたところで、やはり役不足(念のため書き添えますが、役の方が足りないって意味です)の感はぬぐえない。それぞれに見せ場のある、ジャネイン・ラマナ Janine LaManna、ミシェル・ポウク Michele Pawk、シャロン・ウィルキンズ Sharon Wilkins ら女優陣にしても、それは同じ。
 結局、“スース”の世界の再現と役者の魅力のバランスで、前者を優先しすぎたということなのではないか。つまり、“お子様”の期待を裏切らないようにしすぎた、と。
 実は、前述のように『美女と野獣』にもそういう側面があるのだが、あちらには全編を貫くロマンティックなラヴ・ロマンスという一般性のあるストーリーがあるのに対して、『スーシカル』の話は“スース”の世界ならではのかなり特殊なもの。その意味でも、“お子様向け”感の強い舞台になっていた。

 コミック世界の手作りの温もりを生かした、アイディアのある装置はユージン・リー Eugene Lee。カラフルで華やかな衣装はウィリアム・アイヴィ・ロング William Ivey Long。
 最初に書いたように楽曲がいいので、プロダクションの規模を小さくして地方を回れば、この作品はそれなりに成功しそうな気がする。要するに、ブロードウェイという高すぎるハードルが、よく出来た“お子様向け”ミュージカルという程度のジャンプ力では超えられなかったということなのだから。

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 脚本/ケン・ラドウィグ Ken Ludwig。『クレイジー・フォー・ユー CRAZY FOR YOU』ファンにとっては気になるクレジットだ。あの切れのいいギャグの数々を考え、息つく暇もない展開で僕らをノセまくったコメディ作家の新作ミュージカルがやって来る!
 ――と、まあ、僕の場合、『トム・ソーヤーの冒険』に期待したのは、その 1点。
 作曲・作詞のドン・シュリッツ Don Schlitz はカントリー畑のヒット作家らしいが、ミュージカルは初めてで未知数だし、演出のスコット・エリス Scott Ellis は、ラウンダバウト劇場のこぢんまりしたリヴァイヴァル(『カンパニー COMPANY』『シー・ラヴズ・ミー SHE LOVES ME』『1776 1776』)やオフのレヴュー『アンド・ザ・ワールド・ゴーズ・ラウンド AND THE WORLD GOES 'ROUND』は見事にまとめていたが、ブロードウェイでの新作『スティール・ピア STEEL PIER』は(脚本がよくなかったせいもあるが)キレがイマイチで、大きな劇場の仕事には不安が残る。
 そのラドウィグが幕間にロビーの隅でスタッフの 1人と真剣な表情で話し合っているのを見て、そうだろうなあ、と思った。オープン(4月 26日)までにかなり手直ししないと、このままでは、あの広いミンスコフ劇場を埋めるのは難しいぞ、と、 4月 6日の時点では、僕同様ラドウィグも考えていたのではないだろうか。

 無邪気すぎる。それがいちばんの敗因だろう(ってコメントは観劇直後に書いたもので、この時点ではまだクローズの話は出ていなかった)。
 原作はもちろん、マーク・トウェイン Mark Twain の同名小説だが、その小説版『トム・ソーヤーの冒険』は、『ビッグ・リヴァー BIG RIVER』(未見)の元になった、同じトウェイン作の『ハックルベリー・フィンの冒険 THE ADVENTURES OF HUCKLEBERRY FINN』が、アメリカ文学の大きな成果として評価されるのと対照的に、あくまで少年向け読みものの印象が強い。ここに展開される舞台版も、明朗少年ドラマの装い。
 ざっとストーリーを説明すると――。

 1844年、ミズーリ州セイント・ピーターズバーグ。
 好奇心旺盛で自由の好きな少年トム・ソーヤーは、親友のハックことハックルベリー・フィンと待ち合わせた深夜の墓場で、インジャン・ジョーが殺人を犯すのを目撃する。ジョーの策略で、アル中気味のマフが犯人に仕立て上げられるが、トムとハックの証言で真犯人がわかり、ジョーは町から姿を消す。以来、復讐に燃えるジョーの幻影に落ち着かない日を送るトムとハック。
 ある日、町の人々と一緒にピクニックに出かけたトムは、訪れた洞窟が、ジョーの殺人のきっかけになった金(きん)の隠し場所であることに気づく。ガールフレンドのベッキーを連れて金を探し始めるトムだったが、洞窟の中で迷ってしまう。そんなトムを見つけたのは、町の人たちではなく、やはり金探しに来たジョーだった。
 で、まあ、アクションがあったあげくに、助けに来たハックの働きもあって、ジョーは死に、トムたちは金を見つける。そして、無事に町に戻ることも出来る。

 これまで僕はラドウィグ脚本の舞台を、『クレイジー・フォー・ユー』の他に、『レンド・ミー・ア・テナー LEND ME A TENOR』の翻訳公演(加藤健一事務所)と『ムーン・オーヴァー・バッファロー MOON OVER BUFFALLO』のブロードウェイ公演で観たが、いずれも、行き違いや勘違いのギャグが横溢する、スラップスティックな要素の強いコメディだった。しかも、舞台となるのは主に室内で、いくつかあるドアが有効に使われていた。
 そう考えると、このトム・ソーヤーの世界は、ラドウィグにとって、よく言えば挑戦に値する、悪く言えば不向きな題材。で、結果は、ラドウィグが書いた意味がよくわからない、どこと言って特徴のない(まあ、テンポはいいけど)作品になった。そもそもトム・ソーヤーという少年自体があまり面白みのある人間ではないし、彼の行動を追っていくとなると、ラドウィグ流のコメディに仕上げようがないことも確かなのだが。

 悪いことに、楽曲も可もなく不可もなし。特別に印象に残るナンバーがないのは、やはり弱い。

 この作品で語るに足るのは、装置(ハイディ・エティンガー Heidi Ettinger)。
 舞台上手側に頂点のある、急激な勾配を持った、歪んだ円錐と言ってもいいような山状の装置が、最初から最後まで舞台にドーンと置かれている。これが、時には子供たちが遊ぶ川沿いの土手になり、時には町の丘になり、時には洞窟の岩場に早変わりする。この装置 1つで空間のダイナミズムを作り出したアイディアは、内容がそれを十全に生かし切ったかどうかは別にして、賞賛に値する。
 ただし、終盤、洞窟を表現するために、この土台になる装置の上に被さるように下りてくる橋状の装置は、これ見よがしな過度なあざとさが感じられて、マイナスな印象を受けた。
 それから、もう終わっちゃったからバラしますが、幕開き早々、舞台中央の水をたたえた小さな池の中からトムが飛び出してくるのには驚いた。

 『トム・ソーヤーの冒険』は、『スーシカル』以上にターゲットとなる観客を絞り切れていなかった。原作がいくら知られた人気作とは言え、ブロードウェイで当てるには、さらなる付加価値が、それも 1つや 2つではなく必要だろう。

 役者では、インジャン・ジョー役のケヴィン・サージ・デュランド Kevin Serge Durand が(深みのない役でかわいそうだったが)ホントに怖そうで印象的。ハック役のジム・パウロス Jim Poulos は『レント RENT』の 2代目マークで、 98年 9月に観ているが、その時よりもはるかに生き生きした印象。これからに期待。
 『クレイジー・フォー・ユー』のボビーの母役ジェイン・コーネル Jane Connell が出ていたが、この人、いつも同じです(笑)。もちろん、そこがいいんだけど。

(6/4/2001)

Copyright ©2001 Masahiro‘Misoppa’ Mizuguchi

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