私は現在 20代半ばで、 17歳の時から、本格的にミュージカル観劇を始めました。 1年に 20回くらい観劇をしています。ロンドンにも 2回行って、ウエストエンドでも 10作品以上観ています。また、大学時代はミュージカル作品のコピーを上演するサークルに所属し、実際にそういう公演に参加してきました。
こういう履歴(?)なのですが、それではアンケートの回答行きます。
[質問 1]
まず、ミュージカルを見るために本場に行くお金・時間・機会などない、来日公演は高すぎるという問題が日本にはあると思います。このため、おもしろい海外のミュージカルに出会う手っ取り早い機会が日本の翻訳ミュージカルだと思います。
私も翻訳ミュージカルがなかったら、もう少しミュージカルに出会うのが遅かったと思いますから。
大人になってから、ミュージカル作品を観て、「ミュージカルにかかわる職業に就きたい!」と思っても、特に役者になるにはほとんど無理です。
役者になるための修行に間に合うために、子どものころにミュージカルに出会うためには、海外でのミュージカル鑑賞は親の関心が高くないと無理ですし、日本での来日公演はこれまた料金面で親の関心度の高さに依存する&幼い子どもだと字幕は苦しいかな〜っ、ということがあります。翻訳ミュージカルも必ずしもすべてが安いというわけではありませんが、来日ミュージカルの最低席の料金 6000円〜 7000円というものに比べれば、翻訳ミュージカルはまだ安いと思うのです。
必ずしも、ミュージカルに出会って役者を志すのではなくても、ミュージカルからさまざまな影響を受けて、それが将来の進路決定のキーとなるということもあるかと思いますし、子どもの頃にミュージカルというものがあるのだということを知っておくことは私にはとても重要なことだと思われます。そのためには、翻訳ミュージカルは必要です。
四季が子ども用のミュージカル公演を行っていますが、そういう四季の姿勢はすばらしいと思っています(子ども用の公演時はパンフレットも安くしていますし)。
それに私にとって、来日公演はチケット代が高いので、レベルが保障されているということがわかっていても、そう何度も足を運びにくいのです。翻訳ミュージカルの安い席を何枚も買って見に行くという形が、やはり多くなります。
本当はブロードウェイやウエストエンドの舞台を思いっきり観たいのですが、学生のころは時間はあるけど金がない、社会人になったらお金はあるけど時間がないという状態で、 1年に 1回も行けそうにありません。
ミソッパさんはどうやってあんなにしょっちゅうブロードウェイなどに行っていらしてるのですか?
2つ目は私の勝手な都合なのですが……。やはりその作品を好きになって、自分たちで上演してみたいな〜と思うときに、その作品が日本語訳されているととっても便利です。日本で何回か上演されていれば、実際に観に行って演出の参考にすることができますし、パンフレットなど参考資料も多くなります。
たとえば私は『ラグタイム RAGTIME』の CDを聞いてから大好きになり、上演してみたいなあと思うことしきりなのですが、あの膨大な英語の歌詞を全て日本語訳することを考えるだけで目が回りますし、実際に観たこともありませんので、とても上演にこぎつける自信もありません。(それ以前に『ラグタイム』上演には人種的な壁があるのですが)英語で上演するのは論外だと思いますし。
というわけで、やはり翻訳公演があると便利なのです。
3つ目は、本場ではとっくに上演しなくなった作品を数年おきに繰り返し上演することです。
単純に観たい昔の名作を見ることが出来ますし、『ラ・マンチャの男 MAN OF LA MANCHA』のように、初演からずっと松本幸四郎がやっているセルバンテスが年とともに変化していくのを楽しむことができます。
……それだけ日本は新しいミュージカルが生まれにくいし、露骨なスターシステムで、役者の裾野も狭いのだという解釈もできますが。
[質問 2]
やはり訳詞の問題は大きいと思います。
まず、『レント』の翻訳公演の訳詞は最低だと思いました(役者が何を言っているのかさっぱりわからず、従って彼らが何をやっているのかわかりませんでした。ただつまらないという印象を抱き、『レント』のよさを知ることができませんでした。昨年の来日公演を観て、ようやく『レント』の大ファンになったのです)。
それから、この前の「アンドリュー・ロイド・ウェバー 50周年コンサート」のビデオを観たのですが、字幕を見ながら歌を聴いていて、愕然としました。その中で、『オペラ座の怪人』の「The Phantom of The Opera」と「All I Ask of You」が歌われていたのですが、その 2曲を聞いただけで、クリスティーヌがなぜファントムでなくラウルを選んだのかが、よくわかったからです。
私はミュージカルをたくさん観ていても、きちんと作品の解釈ができるわけではなく、「おもしろい」「つまらない」の 2つの感覚でしか感想が出せない人間です。それまで、四季の『オペラ座の怪人』にはそれなりに満足しながら観ていました。ただ、なんとなくクリスティーヌの気持ちってわからないところがあるな〜と思っていました。それなのに、本来の歌詞に忠実に訳した「50周年コンサート」の歌詞と歌を聴いただけで、クリスティーヌの気持ちがわかってしまったのです。
リピーターさんのような、とても深い解釈をなさる方たちですと、「そんな単純にわかるということは作品自体に深みがないんだ。深みのない作品はよくない」「観客がもっと深い解釈ができるようにならないと」と言うかとも思いますが、ちょっとお馬鹿さんな私には、やはりそれなりに主人公の気持ちがわかった方が楽しいのです。
それに、まあ上記の問題は抜きにしても、四季『アスペクツ・オブ・ラブ ASPECTS OF LOVE』で「Love Changes Everything」が「恋の定めは出会いと別れ」になってしまうのはどうかな〜と思います。四季『オペラ座の怪人』の「女の心」に関しては、もはや論外です。
やはり、英語の体系と日本語の体系はかなり違いますから、翻訳には限界があるのかなとも思ってしまいます。
ただ、『エリザベート ELISABETH』の翻訳公演の歌詞は、ウィーン版の CDについている日本語訳の歌詞を読んだ上では、本来のニュアンスをそれなりに伝えていると思いましたので、絶対に無理というわけでないのではとも思いました。
2つ目には、もちろんビジュアルの問題があると思います。
ロンドンで『ミス・サイゴン』を観たときに、「やっぱりその役を本来の人種の人がやるのは強いな」と感じました。東洋人のキムと西洋人で GIのクリスの体の大きさの違い、キムとエレンの顔立ちの違いがはっきりビジュアルとして示されただけで、話に説得力が出て、主人公たちの気持ちもずっとつかみやすくなりました。
また四季の『コーラスライン』を観たときに、「これは実際のニューヨーカーがやってくれないと、私にはこの作品の良さがわからない」と感じました。このことに関しては、四季のあの独特の発声法と演技がコーラスラインにあわないこともあるのだろうなあ、と感じてもいるのですが。
3つ目には、役者の質の問題があります。
日本の役者の質はまだまだです。すばらしい人もいますが、圧倒的に人数不足だと思います。たとえばダンスを見ると、四季のアンサンブルにはやはり本場のアンサンブルほどのキレはないなと感じてしまいます。
また、歌に関しては、本格的な訓練を積んでいない人の歌はレベル的に聴くに耐えず、オペラ歌手がミュージカルを歌えば、大げさすぎ、感情が伝わらなさすぎでこれまた聴くにたえない人が多いです。言葉の体系が違うのに、西洋の発声方法に従っているので、西洋人が歌うようには声がでないのだろうとは思いますが、何か翻訳ミュージカルで歌を聴いていてしっくりこないことが多いのです。
ウエストエンドでは作品的には小粒な作品もありましたが、舞台全体の質が一定以上は保障されているため、そういう面では安心できました。
日本では、ミュージカル役者を目指して一直線に訓練を積んでいる人が出る舞台でもそういう状態なのに、東宝のようにまったく訓練をしていない人を有名だからという理由で主役級で舞台にあげてしまうことも多いです。はっきり言ってそういう舞台はこちらが欲求不満になるだけです。
私は東宝「レ・ミゼラブル」を観るときには、いくら日にちを選ぶのが難しくても、必死で早見優と安達祐実の回は避けるようにしてきました。『ラ・マンチャの男』で松たか子を観たときには、「この役をもっとミュージカル中心で活躍している女優さんにあげれば、若手女優さんのチャンスがもっと増えるのに」と思いました。
今のままのシステムでは、日本のミュージカルのレベルの向上は難しいのではないかと思います。
4つ目は、なんだかわからないけど、本場には圧倒されたわ、ということなのです。
ロンドンで『レ・ミゼラブル』を観たときに、終演後しばらくたっても涙が出てとまりませんでした。日本の『レ・ミゼラブル』を観たときには一度もそんなことはなく、どちらかというとドライに観ていた私だったはずなのですが。とにかくバルジャンの一生がくっきり見えて、なぜか感動してしまったのでした。
役者の質の問題や、やはり西洋人の役を西洋人がやったことで出てくる説得力ということもあるのだと思いますが、はっきりとこれだと言いきれる理由はありません。
また、『レント』はやはりアメリカ人でないと、だめなのではないかと思います。
『レント』は若者全てが抱く共通の気持ちもテーマのひとつにしていると思いますが、アメリカ人でないと表現できないところもあると思うのです。それに、同性愛の問題、エイズの恐怖、麻薬、貧困に関してなどは日本人にはどうしても実感しきれないものだと思います。どれかひとつの問題なら、実感を持ってできる日本の役者もいると思います。しかし、全てはむずかしいと思いました。そういう役者は日本にはいないと思います。